「スペイン語のesperanca(エスペランサ)は希望を意味します。僕の音楽が誰かにとってのささやかな希望になってくれればという思いと、従来のやり方、形の希望ではなく、新しい希望が必要だという感覚から、esperanka(エスペランカ)としました」(Serph談)
Serphという音楽家は、これまでずっと楽曲の中でユートピアを作り上げようとしてきた。それは彼にとって、現実からの「ポジティヴな逃避」であり、前作『Heartstrings』で、そのユートピアはひとつの完成を見たようにも思えた。しかし、自然災害や外交問題などによって、現実ではますます社会不安が広がる中、Serphはそれに抗うかのように、今まで以上に光の量が増した、「希望」の作品を届けてくれた。
ピアノと作曲を始めて、わずか3年で作り上げたという2009年のデビュー作『accidental tourist』から、Serphの名を一躍世に知らしめた出世作『Vent』、そして、最初の集大成とも呼ぶべき『Heartstrings』と、これまで矢継ぎ早に作品を発表してきたSerph。2011年の11月にはオルターエゴ(別人格)=Reliq名義で、ビートを主体としたミニマルな作風の『Minority Report』を発表し、同日にはSerphとしてクリスマス・ミニ・アルバム『Winter Alchemy』も発表するなど、旺盛な創作精神は留まるところ知らなかったが、『el esperanka』はSerphのオリジナル・アルバムとしては約2年ぶりの作品ということになる。
ジャズを基調に、エレクトロニカ、クラシック、ハウスなどが織り交ぜられた、ファンタジックで、ドリーミーな世界観はそのままに、本作はあらゆる方向で進化を果たした作品となっている。アルバムを通しての特徴とも言える、Mumあたりに近い透明感を持った女性コーラスをフィーチャーし、シンセとストリングスのレイヤーが高揚感を誘う“twiste”、タイトル通りに、次々と風景の変わる不思議な小道を歩いているような“magicalpath”、本作の中でも最もポップで、リコーダーがチャイルディッシュな印象を強めるSerph版「こどもと魔法」といった感じの“parade”など、序盤から聴き所は多い。
インストのクラブ・ミュージックを背景としながらも、プログレ的と言ってもいいぐらいの多彩な展開を持ったSerphの楽曲の真骨頂は、特にアルバム後半に凝縮されている。まるで夢の中にいるような、辻褄が合っていないにもかかわらず、さもそれが当然であるかのような不思議な感覚に襲われるのは、Serphの作品ならではの体験だ。本作の作り込みは過去作と比べてもかなりのもので、制作期間中は相当な精神力を要したであろう。そして、アルバム中最も明度の高い、キラキラとした希望の光を感じさせる“crystalize”でアルバムは厳かに幕を閉じている。
Jazzanovaが主宰するSonar Kollektiveなどから作品を発表しているスイス人のエレクトロニカ系アーティストで、Flying LotusやThe Gaslamp KillerといったLow End Theory周辺とも交流の深いdimliteをオールタイム・フェイヴァリットの一人として挙げるだけあって、実験的な試みが数多く詰め込まれた作品であることは間違いない。しかし、その一方ではThe Beatlesをこよなく愛し、本作もあくまで親しみやすいポップ・ミュージックであるということは、Serphという音楽家の大きな魅力だと言えよう。
また、Serphの作品は、アニメーション作家のユーリ・ノルシュテインや、SF作家のフィリップ・K・ディックなど、様々なアーティストおよび作品からもインスピレーションを得ているが、こういった名前から浮かび上がるのは、「イマジネーション」というキーワードである。不安定な社会状況によって、イマジネーションが著しく欠如していく流れの中、Serphの音楽はその重要性を強く訴えている。もちろん、彼は大きな旗を振ってリスナーを先導するわけではなく、もっと個人的な思いを出発点に音楽と向き合っているのだろう。しかし、イマジネーションの重要性を強く信じ、音を鳴らし続ける彼のような音楽家の存在は、音楽を愛する人間にとっての大きな希望であることは間違いない。
金子厚武 |