岡村詩野氏によるアルバム解説:
久しぶりにドリーミーでロマンティックでチャーミングな日本のインストゥルメンタル・ミュージックを聴いた。今はただ、そんなワクワクするような感想で胸がいっぱいだ。なんだか稚拙な感想かもしれないが、ちょっと甘酸っぱくも温かな気持ちにさせてくれるポップ・ミュージック。これはもう、一部の熱心なファンの間でだけでは勿体ない。堂々とメインストリームで正面切って勝負してもらいたい作品だ。
Serphと紹介されても、恐らくまだそれほど多くのリスナーしかその名前に反応しないかもしれない。だが、ここに届いた『vent』と題されたアルバムは、例えば、バート・バカラックやヘンリー・マンシーニや、あるいはヤン・ティルセンやベルトラン・ブルガラあたりの豊かで優美で、ちょっとだけ可愛らしくファンタジックな匂いを持っている。いや、それどころか、久石譲や小西康陽あたりにも通じるウィットとキャッチーささえある。さらには、もっと柔軟でもっとのびのびとしたところもあるし、一方で、構築された世界を堪能させてくれるような知性も感じられるだろう。エレクトロニカとかポスト・クラシカルとか、過去にこのSerphがどんな言葉で語られてきたのかは知らないが、一言、それはドリーム・ポップ・ミュージックといったように紹介した方が適切ではないか、とさえ思えるほどに、大らかで包容力のある音楽と言っていいかもしれない。
実際、Serphの作る楽曲は、出来上がった形式や古くからある規範にとらわれない、無限大ののびしろを多く持っているが、それ以上に、過去の様々な偉大な音楽のマナーをしっかりと継承していこうとする目線も強く感じさせるものだ。そして、それは聴き手に対し、自由自在に情景を喚起させ、没入させ、でも、そこにコネクトするだけではなく、より先へクリエイトしていこうという気にさせるだけの情熱を持っているということの証でもある。
聞けば、このSerphという人物(20代の男性)は、20歳を過ぎてからピアノを始め、作曲も大学などで学んだわけではないという。実際、このアルバムで確認できるアレンジメントや作曲はアカデミックな教育に従ったものではなく、映画音楽やイージー・リスニングや時にはオルタナやプログ(レッシヴ)・ロックのレコードをお手本に身に付けたような愛らしさと独自性があり、ゆえにとても親近感を持てるものだ。クラシック音楽からポップ・ミュージックの世界へとシフトしてきたアーティストは、例えば海外ではオーウェン・パレット(aka ファイナル・ファンタジー)、ニコ・ミューリィら00年代以降多数現れている。日本でもおそらく音大や芸大を卒業してからカジュアルな音楽に向かう人が増えているはずだ。だが、このSerphの作品には、そうしたルートでは決して表現できない、無鉄砲さ、無邪気さ、軽やかさが間違いなくある。完璧ではないがゆえのチャーミングな“隙”がある。でも、本来、ポップ・ミュージックとは、こうした“隙”を持った音楽だったのではないのか。
このアルバム・タイトル『vent』とは、advent、adventureといった単語から取られたものだという。甘酸っぱくチャーミングなのに、スリリングでスペクタクルな要素も持った音楽。そういう意味でも、このSerph、日本のスフィアン・スティーヴンスになりえる男、と、喜んで紹介したい。これで、時々は自分でも歌ってみたりしてくれたら、筆者はもっともっとSerphのことを好きになっていくに違いない。
2010年4月 岡村詩野 |