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Little Grace
Yasushi Yoshida
Little Grace
2008.04.25
CD
CXCA-1228
¥2190 (without tax)
1. permanent yesterday
2. greyed
3. little hand
4. thread still
5. lasted in different view
6. three winters our trace
7. under calf,winged steps
8. lullaby for rainsongs
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小山 守氏によるアルバム解説:

 吉田靖が06年に出したファースト・アルバム『Secret Figure』は、電子音とアコースティック楽器とエディットを巧みに操ったインストゥルメンタルで、繊細かつリリカルな内面性を表現した、いわば“テクノ通過後のベッドルーム・シンガーソングライター”の最新型といえるような作品だった。それから約1年9ヶ月。今回のセカンド『Little Grace』には、彼の大きな成長と飛躍が記されている。

 まず前作から大きく変わったのが、ほぼ全編が生楽器のみで構築され、電子音はほとんど入っていないところ。ピアノやヴァイオリンなどのアコースティック楽器を中心に、管楽器やギター、ドラムスといった前作では使われなかった楽器も入り、総勢10名以上ものミュージシャンが参加したフル・バンド編成の曲が多い。最も顕著なのが2曲目の「greyed」で、攻撃的なドラムスとサックスのメロディーを軸に、9人編成の大所帯による分厚いバンド・サウンドで疾走するパワフルな曲だ。いわば人力によるダイナミズムの導入である。吉田によれば「(前作発表後の)ライヴでは、前作を一人で再生ボタンで流すという、ラップトッパー的なことはしたくなかったんです。それまでの音楽活動などで知り合えた、信用できる友人たちの力を借りない手は無いと思いました。それであの静かなアルバムが、マノウォー張りのラウドなバンド・サウンドに生まれ変わっていったんです。そういうアルバムを作りたくなったんです」(以下、発言はすべて吉田のもの)とのことで、ライヴならではのフィジカル指向が作品にもそのまま持ち込まれた、ということのようだ。
 
そうした生音への傾倒が、ダイナミズムだけではなく、彼の作品により繊細な、豊潤な表現をもたらした。本作は作曲を含めると約1年8ヶ月かかったらしいが、最も時間を費やしたのがバンドのリハーサルで、特にピアノとドラムスは3ヶ月間ものリハをしたという。「僕の曲は演奏の“間”やリズム感がとても重要な部分なので、それを過激なくらい練習しました。今回は高い理想があって、音に僕の願いを詰め込みたかった。ひとつの音にひとつの意味を持たせたかった」と彼は言う。確かに本作の音は、すべての音が示唆的であり意味を持っていると思える。前述した「greyed」は激しい感情の昂ぶりを感じさせるし、対照的に静かな曲が続く中盤は、ピアノの重い響きや、ヴァイオリンの哀しげで荘厳な調べや、ウーリッツァーのダークな音色などが、深い闇の中で苦悩にもがくさまを表しているかのようだ。そうした起伏に富んだ内面的表現が、前作よりも確実に豊かになっていて、全体としてひとつのストーリー的な流れがあるように思える。彼によればそのストーリーは「僕が世紀の大失敗をしてしまったことへの鎮魂歌」とのことで、ごく個人的なことのようだが、彼の物語作家的な資質がよく表れているということだろう。

 そして本作は最後の組曲「lullaby for rainsongs」で、最大のクライマックスを迎える。マーチング・リズムのドラムスとヴァイオリンのメロディーをメインに、10以上の楽器すべてが束となってどんどん上昇し、感情の塊が溢れ出すかの如く高揚していき、祝祭感や多幸感でいっぱいになったようなラストへと至る壮大な曲だ。彼がこれまで試みてきたことの最大の成果であり、現時点での到達点といえる。最後はこれ以上はないくらいにポジティヴな音で終わるというところに、彼の人間性がよく出ていると思う。「つらいことが起こった時に、死んでしまったら全部終わってしまいますが、それを乗り越えたら過去のことを振り返るのが怖くなくなったり、話題に出せるようになったりとか、そういう希望が僕にはあります。最後はポジティヴにいかないと、長い時間かけて悩んだり悔やんだりした意味がないです」と彼は言う。闇を知っている者だからこそ、放つ光はあまりに目映い。そういう力がこの曲にはあるのだ。

 ここ数年、かつてエレクトロニカ系と呼ばれたアーティストが生音へ向かう傾向が多く見られ、日本ならワールズエンド・ガールフレンドや高木正勝、コンボ・ピアノなどがそうだと思うのだが、吉田靖もその一人として捉えることができる。彼は「生楽器を使えば、機械では表現できなかった部分を多く取り戻すことができると思います。逆に機械を人間的に使うこともできますよね。機械に慣れすぎている人は、人間のズレを嫌がりますが、そうでない人、機械の正確さに違和感を持つ人が、たくさんいるのだろうと感じています」と言う。機械も生楽器も知り尽くしたからこその生音指向であり、要は手法ではなく表現そのものなのだ、ということだろう。

 そこを自覚した吉田は、生楽器ならではの微細な息づかいやダイナミズムを存分に生かし、独自の音として表してみせた。「録音の最中、楽器演奏の呼吸というか人間的な部分に、何度も泣きそうになりました。演奏家の人たちが真剣に僕の曲に取り組んでくれている姿に感動しました。演奏された音のすべてが愛おしくて仕方なかったです。生楽器の持つ温もりは何にも変えがたいと思いましたね」と、彼は言う。

 本作はもはや、エレクトロニカやシンガーソングライター云々という言葉で語れるものではなく、あえて言うならクラシック音楽やブラス・バンドや音響の手法を投入してできあがった深遠な音の物語、というところだろうか。そうした独自の作風を確立し、その才能を存分に示してみせた、彼にとっても現在のシーンにとっても重要な作品だと思う。

2008年2月 音楽ライター/小山 守


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