小山 守氏によるアルバム解説:
ピアノやアコースティック・ギターがもの悲しい響きを放ち、ヴァイオリンが空間に漂い、それらの隙間でエレクトロニカ的なグリッチ音が鳴っている、とても繊細で美しいインストゥルメンタル。吉田靖のファースト・アルバム『Secret Figure』はそういう音楽だ。北欧エレクトロニカのようであるし、フォークトロニカともいえるし、今日的な表現をすればフリー・フォークっぽいともいえるかもしれない。しかし、それらの要素を含みつつもそのいずれでもない。一言で言えば、シンガー・ソングライターの音楽なのだとぼくは思う。
本作の9曲は、いずれもフリー・フォームでありミニマルという構造を持っている。つまり成り立ちとしてはテクノ的であるのだが、音の反復がダンス的な高揚へと向かうのではなく、エモーショナルな表現を高める役割を果たしているところに、吉田の特性がよく表れている。たとえば3曲目の「Parade」は、エレクトロニカ的電子音のゆったりしたリズムを軸に、アコギとヴァイオリンがセンチメンタルなメロディーを繰り返し奏で、聴いていると次第にじわじわと胸が高ぶっていく。ハイライトといえる「picture of three life」では、シンセ、アコギが繊細に折り重なって、やわらかな光がゆっくりと射してきてやがては光でいっぱいの世界になっていくような、なんとも豊潤な音像を描いている。そうやって彼の音楽は、聴き手の胸の奥に少しずつ少しずつ、しかし確実に染み入ってくる。言葉がなくても、いや、言葉以上に雄弁な説得力をもった音楽だといえるだろう。その有り様は、エレクトロニカ・アーティストというより、シンガー・ソングライターと呼んだ方がふさわしい。
打ち込み主体でフリー・フォームであるがダンス・ミュージックではない、叙情的ではあるが言葉ではなく音像やメロディーで表現する、そうしたいわゆる“テクノ通過後のシンガー・ソングライター”的なアーティストは、90年代後半以降、国内でも少しずつ登場してきた。たとえばworld's end girlfriendやレイ・ハラカミらがそれに当てはまると思うが、吉田靖はその系譜で捉えるべきアーティストだといえる。しかも彼の音楽にある微妙な感情の表現力は、そうした先達よりも秀逸だ。ちょっとだけ悲しくなったり、ほのかに気分が高揚したり、穏やかな気持ちだったりという、日常で起きる細やかな心の動きを、彼は鮮やかにすくい取ってみせる。フリー・フォームも電子音もアコースティック楽器も、スタイルや方法論ではなく、彼の表現手段として必要だったのだろう。要はその手段に長けた男だということだ。
その手段であるが、吉田靖によると「ビートは全て日常の中の何処にでもあるような物音を楽曲毎に一からサンプリングし、様々な音処理を経て出来た音をプログラミングし、構成しています」とのこと。日常の息づかいが音に込められているからこそ、彼の音楽はリアルに響くということだろう。彼は今では「このようなスタイルの演奏しかできなくなっていました」という。興味深いのは、影響を受けたアーティストがメガデス、はっぴいえんど、ガブリエル・フォーレというところ。一見まったく接点がないようでいて、でも彼の音楽を聴くとうなづけるような気もする。なんだか不思議な男である。
派手ではない、キャッチーでもない、ガツンとくるインパクトがあるわけでもない。しかし彼の音楽は、聴き終わった後に窓の外の風景を眺めてみると、いつもよりほんの少し違って見えるような、あるいは胸の最も奥深い部分をつつかれるような、そんな力を確実に持っている。音楽の魅力とは、実はそういうところにあるのではないか。そう感じさせる、希有な新人アーティストである。
小山 守 |