当たり前のことだけれど、音は空気が震える現象でしかないわけで。ただ、魚が水の存在を恐れることがないように、音楽を耳にする時、普段は周りの空気のことをまったく忘れてしまっているもの。少し湿度が多い日には、耳に届く音は湿った音になってるし、カラリと晴れ上がった日には、いつも聴いてる1枚のCDが妙に小気味よく聴こえたりすることもあるというのに。でも、映糸が紡ぎ上げる音は、今、肌に触れている空気の重量をはたと気付かせてくれるもの。その穏やかな音が、スピーカー前の空気と静かに混じり合っていくのが“見える”ような気分、水彩絵の具が水さしにポタリと落ちた瞬間、ゆっくりと水と溶け合う、あの感じ。時に、あまりに空気に近過ぎて、音楽が鳴っている事実さえ忘れてしまうこともあるのだけれど。
この銀盤に収められた音の一部は、レコーディング・スタジオではなく、京都にある地下のカフェでの生演奏をつかまえたもの。マルチ・マイクではなく、あえてワン・ポイントで録り込まれたのは、多分、彼らの音が空気と混ざり合った様を見せたかったからではないだろうか。実は、そのライヴを僕は目の前で観ていた。ギターのアルペジオを時間軸の骨格としつつ、極端に電子変調が施されたトランペット、そして忘れてはならないMujikaの幽玄なる歌声が店の至るところに充満していき、少し息をすることさえ忘れてしまうような、穏やかな緊張感が流れ続けた。そこには演奏者としてのエゴなど欠片もなく、その場所の空気の色を変えることに悦びを見い出しているどこか職人的な佇まいを感じさせた。
音楽の愉しみ方を強要したくはないけれど、できれば心の落ち着いた日に、本作を小さな音で聴いてみてほしい。空気が蒼く、時に白くなっていく様子が、目の前に立ち現れてくるはずだから。 小田晶房(map) |