ワールズ・エンド・ガールフレンドは、物語(フィクション)の語り方を知っている。彼はエレクトロニック・ミュージックにおいて今もっとも注目すべきひとりではあるけれど、しかし、その確固たるコンセプトの強さという点で、シーンのなかのひとつに位置づけるのが困難なアーティストでもある。彼はどこのシーンにも属さないようにも思えるからだ。その作風は自ら脚本を手掛ける電子仕掛けのエンリオ・モリコーネのようでもある。もっとも彼の脚本はハードボイルドでもサスペンスでも大河ドラマでもない。2000年にリリースされた彼のデビュー・アルバム『エンディング・ストーリー』に漂うある種の不条理な世界観、アルバムを通して聴くときの迷宮めいた脈絡のなさからうかがえる世界の無意味化は、時代の雰囲気に抵抗しているようでもある。 セカンド・アルバムで彼は自分の物語(フィクション)にさらに磨きをかけてスケールアップさせている。残念ながらこのアルバムは曲を飛ばしながら聴いてはその魅力が十分に伝わらないアルバムだ。が、最初から最後まで通して聴けば、作者の紡ぐ物語を経験できる。その迷宮こそおそらくワールズ・エンド・ガールフレンドの本当の作品なのだ。
野田 努
音ののスクリーンの向こう側に、可憐な少女の笑顔が見える。 その表情はたとえようもなく美しいが、どこか終末を感じさせもするのだ。
佐々木 敦 (HEADZ/FADER)
フィッシュマンズの『空中キャンプ』、あるいはコーネリアスの『ファンタズマ』。その道は険しいけど、本作はそれらの不朽の名作に台頭するであろう素晴らしい才能の片鱗を感じさせてくれる。本作を耳にして、ぐぐっと込み上げてくるこの熱い感情はなんなんだろう。 音楽の力なんて言いかたは陳腐かもしれないけど、ここには確かに“希望”がある。
加藤直宏 (remix)
ワールズ・エンドの音楽性の根っこをなしているのは、モーダルな電子音と構築への意志だだろう。音の重なりをポリフォニックに配置し旋法としてのメロディを両極に…結果、形作られる音は、物語性を多分に孕んだ断片となる。幸いにも定期的に届けられるそれらの断片を私たちは聴く機会に恵まれている。2作目のアルバムとなる『フェアウェル・キングダム』のクラシック音楽の影響や生楽器を取り入れたアンサンブルは、あくまでも経過としてでしかない。ワールズ・エンド・ガールフレンドの音楽を断言できるほどのピースをリスナーが手に入れるのは、まだ先の話ではないだろうか。
松村正人 (STUDIO VOICE)
world's end girlfriendによって切り刻まれる音と時間は壮大に空間をうめつくす。ただ単に耽美でデカダンで狂気でというだけでなく、色々な表情が音に表れ未だかつて見た事のない世界を創り出す。エレクトロニックミュージックは何をしてもよい音楽なんだと改めて認識させられ、彼の出現によって音楽の進化を垣間見る事ができる。 これだけの世界を造り上げる彼の頭の中を一度旅してみたいものだ。
Com.A (notekrec)
woどことなく廃虚な遊園地を思わせるようなモヤモヤ感が全体を貫いててお気に入りです。 さっきも聴いてました。エンディングもあの怖くて暴力的なエンディングで納得。 APHEX TWINの新譜よりもよく聴いてます。
josheph nothing (planet mu)