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MOON
服部峻
MOON
2015.11.13
CD
NBL-215
¥2000 (without tax)
1. Startup
2. Old & New
3. The Sand Effects
4. She
5. Rickshaw
6. Borderline
7. Gravity
8. Chota Bheep
9. Pink
10. Soma
11. Partition
12. Forgive Me
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松村正人氏によるアルバム解説:

 大阪在住の音楽家で映像作家でもある服部峻の名前をはじめて聞いたのは一昨年の暮れ、ある媒体を編集したとき、ポストロックにあやかった「ポストジャズ」なる小特集をひねりだし、それにふさわしい音盤を数枚あげよと将来を嘱望されるライターの細田成嗣くんに問うたところ、数枚あがったリストの上位に彼の「UNBORN」があった。いわく、「ジャズが抑圧に対する解法の道標になるのであれば、まさに現代の自由がここにはある」私はいささか大仰かもしれないが、それにジャズであるかは微妙だけれども、まったくその通りだ。「UNBORN」を細田くんに聴かせてもらってそう思った。服部峻は現代の音楽が不可避なテクノロジーを手ずからゆるがせることで前景化し、返す刀でふたたび音楽の構造そのものにゆさぶりをかける、彼のオーケストレーションないしチェンバー・アンサンブルはかつてチルウェイヴと呼ばれ、いまでは近過去の陥穽におちこんだロウファイ・ミュージックのありえたかもしれない現在をほのめかすとともに、録音とパッケージ(というのはフィジカルにかぎらない)という音楽を二重化させる命題に自覚的(にならざるをえない)世代のメタ・ポップ・アンサンブルだった。なかでも後期ロマン派を逆回転させたような長尺の「Humanity」はまるで夢で聴く音楽のように私をとらえて離さない。私は夢で音楽を聴いたことはないが、夢にサウンドトラックがあるならおそらくこうなるにちがいないと思いながら、つづく「World's End Champloo」、「Lost Gray」に夢から醒めきらないまま耳を傾けつづけたが、そのときは「World's End Champloo」がじっさいサウンドトラックにもちいられていたとは夢にも思わなかった。

 不勉強ながら遠藤麻衣子が監督し、服部峻が音楽を担当した2011年のドキュメンタリー『KUICHISAN』を私は未見だが、「UNBORN」収録の「World's End Champloo」はそこからの抜粋であり、彼のはじめてのフルアルバムであるこの『MOON』もまた遠藤麻衣子監督が新作『TECHNOLOGY』の映画音楽を服部峻に依頼したことかから制作ははじまったという。というのは、本稿執筆にあたり親切にも彼が送ってくれた『MOON』制作メモで知ったことだが、『TECHNOLOGY』はインドを舞台に、このアルバムのジャケットに写っている主演のニューヨーク在住の女優でモデルでもあるインディア・サルヴォア・メネズを月から訪れた(だからタイトルは『MOON』なのですね)主人公に起用した、服部峻によれば、とらえどころのない映画だったよう(と何度も伝聞形で書くのは『TECHNOLOGY』は現時点では未公開だからだ)で、制作に行き詰まった彼はインドを旅することを思い立つ。昨年9月、彼ははじめてインドの地を踏み、デリー、アーグラ、ワーラーナシ、北部三都市を一週間でめぐる強行軍を経て、当初6曲を予定していた曲数は倍にふくらみ、サウンドトラックはこうして映画から独立した服部峻にとって初のフルアルバムとなった。

 タブラやタンプーラの音色が頻出する背景にはそのような事情があるが、服部峻はそれらの響きとリズムをてらいなく援用しながら、(北)インドの古典音楽のシミュレートなど歯牙にもかけず、その原理まで降りて粘土をこねるように見よう見まねで抽出し再構築する。インドをモチーフにしたエレクトロニック・ミュージックといえば、細野晴臣と横尾忠則との『コチンの月』があるが、細野晴臣のインドがエキゾチシズムの記号を折衷した絵はがきに似た虚構性だとしたら服部峻のそれはズレた次元が重なるところにみえるだまし絵を思わせるなにかであり、頭上にかかる月はともに書き割りめくが、その光の照らす対象にはちがいはある。「UNBORN」のバスクラリネットに対応するようにダルシマーのシークエンスで幕を開ける冒頭の「Startup」、芯の太いビートと電子音のコントラストが楽曲を前進させる「Old & New」、「She」あたりまでは付随音楽のなごりを感じさせるが、ガンジス川に向かう深夜特急車中の不安な気持ちを表現した「Borderline」は本人にとっても意想外だった雅楽を彷彿させる浮遊の不動性をもち、『MOON』は「UNBORN」でいえば「Humanity」にあたる「Gravity」で、映画音楽の制約からさえ自由になる。もっとも服部峻——あるいは服部峻と遠藤麻衣子のコンビ——にとって音楽は情景を補足するものでも、ましてや作中人物の心情を仮託するものでもない。ニーノ・ロータがサーカスでの出し物と音楽との関係を元にスコアを書いたように、音楽に先立つ映画が映画として完結するように音楽は固有の運動と形式をもち自律する。形式はあるが服部峻のそれは伝統に根ざさない。むしろ伝統を伝統たらしめる重力より潮の満ち引きをつくり、バイオリズムを左右する月の重力に服部峻は軍配をあげるかにみえる。その結果『MOON』は「UNBORN」の夢幻性ともちがう浮遊感とグルーヴをもちえたがそれらはインド音楽のラーガやジャズのモードから来るのではない。ただ服部峻の指先だけが触知することのできる音楽の思考である。そのようにして服部峻の音楽は旋回しながら上昇する。『MOON』はそれをとらえた最初の重要なドキュメントといえるだろう。



松村正人

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