曇った窓ガラスの向こう、耳に心地よい笑い声を残して、まるで影絵のように、子供達の戯れがぼんやりと映り出される、そう、あの感じ。そして、そんな姿が見えない状況だからこそ、幸せな風景がかえって脳裏にはっきりと映ったりもするもの。でもって、Gutevolkこと西山豊乃。チープな機材ゆえか、それとも特別意図したものかは知らねども、薄い皮膜を一枚被ったようなくぐもったサウンディング、そして真綿にくるまれるかのようなイノセンスが、脳のうしろをサラリとくすぐってくれていた彼女。しかし、Gutevolkとしての2作目は、これまでと少しだけ、違う、と思う。窓はいきなり開かれ、彼女の笑い顔やちょっと困ったような表情までが、くっきりと浮き上がっているのだ。もちろん、妄想が紡ぎ出す音の魔法が消えてしまったわけではなく、音楽家としての凛とした姿(時に雄々しささえ感じるほどの!)が、素のまま記録されているということ。抽象的な電子音で空気を暖めるよりも、気の置けない友人たちが編み出す人肌の一音を選び取る、それは、コンポーザーとしての歓びも当然あるけれど、歌うということの楽しさや力を再確認させたかのようだ。ある種の雰囲気を醸造するための触媒
としての歌じゃなくって、“歌”のための歌、とでも言うべきか?
とにかく、そのチャイルディッシュな歌声に騙されちゃいけない──いや、彼女は別に騙そうなんてつもりはさらさらないのだろうけど、ね。
小田晶房(map) |